2005年2月14日
娘。学概論(後期)授業内容
1.麗しき敗者(飯田圭織)…悔しさの果てに到達した境地
2.復讐の笑顔(安倍なつみ)…皆殺しと博愛の両立
3.夢、或は野望(保田圭)…ひび割れた理想を抱いて
4.臆病な太陽(矢口真里)…何故彼女は喋り続けるのか
5.無力な英雄(後藤真希)…潔癖であることの良し悪し
6.ぬるい幸福(石川梨華)…捨てる勇気と捨てられる覚悟の必要性
7.彷徨う情熱(吉澤ひとみ)…まずはスタートラインに立つこと
8.道化と暴力(加護亜依)…剥き出しの自我が辿るべき運命
9.丸い刃(辻希美)…鬱屈したプライドと美味しい誘惑との狭間で
10.ミス・セオリー(高橋愛)…正統派であるが故の平凡さ・退屈さ
11.逆転の美学(小川麻琴)…再現されるモーニング娘。の初期衝動
12.自信と確信(新垣里沙)…理解不能なものに対する恐怖
13.悟性と快楽(紺野あさ美)…飽くまでも快感原則に忠実であること
14.テスト
※テキストは無し。参考資料は授業中に紹介。
※出席はとりません
第1章 飯田圭織~麗しき敗者~
飯田圭織はモーニング娘。の現リーダーである。彼女は娘。結成時の
メンバー(いわゆるオリメン)であり、新陳代謝が進んだ現在の組織に
おいては、安倍と共に精神的支柱の役目をも担っている。飯田の芸歴
はそのまま娘。の歴史と符合する。そういった意味でも彼女は娘。の
代表者に相応しい人物であると言えよう。
しかし、娘。のブレイク・出世とは裏腹に、飯田自身は度々苦汁をな
めさせられた経緯を持つ。また組織改革の際に生じる「痛み」を彼女
だけがもろに被ってきたことも事実である。
一体、娘。と彼女の関係は如何なるものなのか。
今回は「敗北」をキーワードに、モーニング娘。発展の影に隠された
飯田圭織の悲劇について考察してみたいと思う。
(1)三つの決定的な敗北
a.シャ乱Qロックボーカリストオーディション落選
オリメンについて考察する際に特に重要と思われるのが、このオーデ
ィション落選という事実である。モーニング娘。の歴史はまさにここ
から始まるわけだが、中澤・石黒・飯田・安倍・福田が同様に体験し
たはずのこの出来事も、各人のその後の経緯も含めて分析した場合に
はまた違った側面を見せるのである。
中澤…娘。のメジャーデビュー後ほどなくしてソロデビュー
安倍…娘。の象徴として事務所から大切に扱われる。後にほぼソロ
の待遇で「ふるさと」をリリース
福田…初期娘。の核としてつんく♂に重用される。後にほぼソロの
待遇で「NeverForget」をリリース
飯田…娘。本体ではサポート役。タンポポ(最初期)ではセンター
石黒…娘。本体でもタンポホでもサポート役を務める
このような結果から判断すると、中澤・安倍・福田にとって「オーデ
ィション落選」という出来事は「人生上の良い経験」であったと言え
よう。結局のところ彼女達はソロで歌う機会を得ることができたのだ
から。しかし、飯田・石黒にとっての「落選」にはまた別の意味が与
えられることになる。つまり「ソロ失格」という烙印である。Cocco
のようなソロシンガーになりたいという飯田の夢は「落選」の時点で
既にある程度砕かれてしまったわけである。このことは正しく飯田に
とって最初の決定的な敗北であったと言える。
b.「モーニングコーヒー」におけるパート変更劇
オーディション終了後、中澤・石黒・飯田・安倍・福田の五名は、UFA・AS
AYAN・つんく♂等の企画により娘。を結成する。この史上初の「落選者のみ
によるユニット」は、これ以後破竹の快進撃を繰り広げるのだが、しかしそこに
は一つの根元的なジレンマが潜んでいた。
1997年当時において娘。が画期的であった点は主に二つある。一つはアイドルグ
ループであるにも関わらず組織内に競争原理が作用していたこと。もう一つは企
画主導で活動したことである。とりわけ重要なのは後者で、レッスンの模様や手
売りによる敗者復活の物語など、通常アイドルを売り出す際には隠すべきネガテ
ィブな部分を、逆にファン獲得の手段として見せ物にしたことに関しては、まさ
に革新的であったと言えよう。SPEEDや広末が猛威を振るった時代に娘。の
ような素人集団が人気を得られたのは、素材の良さもさることながら、プロデュ
ースの仕方が巧みであったことも大きく関係しているのである。
19 :名無し助教授。 :02/06/12 02:43
しかし、このような戦略とそれによって形成される周囲の状況に対し、当のオ
リメン達は少なからず警戒感を抱いていた。それというのも、当時彼女達に贈
られた称賛の言葉の殆んどが「可愛い」とか「面白い」とかいった類の、歌と
は関係無いものばかりだったからである。そもそも彼女達はソロシンガーを目
指していたのであって、いわゆる「アイドル」になりたかったわけではない。
女性であるから「可愛い」と言われて悪い気はしないだろうが、歌唱力を評価
されることなしにそのような賛辞を贈られても正直あまり嬉しくないのである。
しかし、娘。は世間から「アイドル」として認知され、結果、歌唱力は不問に
付されることとなった。これは彼女達にとって大変屈辱的なことであっただろ
う(福田は例外)。
また、UFAとつんく♂が娘。のセールスポイントとして「素人っぽさ」を掲
げたことも大きな問題であった。一人前の歌手になりたいオリメン達にとって「素
人っぽさ」はむしろ捨てたい要素であったに違いない。だが、つんく♂等はそ
れを前面に出すように指示したのである。これも彼女達にとっては不本意なこ
とであったと思われる。
以上のように、1997年当時において組織とそのメンバーの関係は必ずしも相思
相愛であったわけではない。むしろある種の緊張状態にあったとさえ言えよう。
ソロの夢を貫くのか、それとも組織に従属するのか。ソロの夢を貫くとしたら、
それはどのような形で行なうべきなのか。各人が各様に思い悩んだことかと思
われる。
20 :名無し助教授。 :02/06/17 15:35
このような状況の下、デビュー曲のメインパート争奪戦は行なわれた。1997年
12月初旬のことである。
オリメン達にとってメインパート獲得の成否は死活問題に等しかった。何故な
ら、かくのごとき露骨な競争は自分の優位性を証明する絶好のチャンスでもあ
るが、逆に負けた場合はソロの夢から一気に遠ざかることにもなるからである。
欲望とプライド、そして「取り残されるかもしれない」という恐怖が当時の彼
女達の原動力であった。手売りの過程で一旦団結したはずの彼女達が、本来の
ライバル関係に戻り熾烈な闘いを繰り広げたのも、言わば当然の展開であった。
21 :名無し助教授。 :02/06/20 19:50
飯田もこの勝負には全力を尽くすつもりであった。しかし、彼女の場合は日程が災
いした。レコーディングが行われる12月2日と3日のうち、3日に関して彼女は学校
のテストを受ける為に欠席しなければならなかったのである。本人はレコーディン
グを優先させたがっていたのだが、彼女の親がそれを許さなかった。この件につい
ては不運であったとしか言いようがないだろう。飯田は僅かな時間で三つの課題曲
を憶え、本番に臨んだ。その結果は「モーニングコーヒー」及び「ウソつきあんた」
のメインパート獲得という予想外のものであった。三つの課題曲のうち二つでメイ
ンが取れたということは、実力NO.1のお墨付きを貰ったに等しい。飯田もこの結果
には喜んだことかと思われる。
しかし、彼女達がこのような報告を受けた同日の深夜、事態は急変した。5人の全テ
イクを聞いたつんく♂がパート割りの変更を指示したのである。彼は翌日(4日)そ
の内容を発表した。劇的だったのは言うまでもなく飯田が二つのメインパートを失
ったことであった。「モーコー」は安倍のものに「ウソ」は福田のものとなった。
主役の座から一気に転落した飯田は、ただ泣くより他になかった。
この時、飯田は「テストなんてしてる場合じゃなかった」と、親の反対を押し切っ
てでもレコーディングに参加しなかったことを悔やんだ。それはつまり、メインパ
ートを取れなかった原因が自分の半端な態度にあったと考えたからであろう。しか
し、たとえレコーディングの全日程に参加し、そこでベストの力を発揮できたとし
ても、彼女が望むものを得られたかどうかは微妙である。何故なら、元来娘。は安
倍・福田を主軸として編成されたユニットだからである。
安倍と娘。の関係については次章に譲るとして、問題なのは飯田がこのような娘。
の構造を見抜けなかったことである。当時の彼女はまだ若く、夢見がちな傾向が強
かったと言えよう。努力は常に正当に評価されるものであり、個人の運命は当人の
努力次第で変えられると信じ切っていた節がある。だが、現実は違った。オーディ
ションが企画なら、ユニットの結成も手売りの成功も企画の下で実現したことなの
である。当然ながらメインパート争奪戦も企画の一つに過ぎず、そして、その中に
「飯田にメインパートを与える」という項目は無かったのである。飯田は、残念な
がら、このことに気付かなかった。例えば、中澤や福田などは当初から娘。の「胡
散臭さ」を察しており、その中で自分が傷付かないポジションを模索していた。彼
女達がそのように対応しえたのは、年の功であったり、冷めた感性の賜であったり
するのだが、少なくとも当時の飯田には自分を一つの駒として考えるというスキル
がなかった。彼女は本気でメインパートが獲得できるものと信じ、既に決定事項で
あった「安倍(福田)集権体制」に真正面からぶつかっていったのである。その結
果が、このような無惨な転落劇であった。敢えて付け加えるなら、平家みちよが娘。
のスプリングボードとして扱われたように、飯田もまた安倍の踏み台として利用さ
れたのである。このことは彼女の心に一生消えない傷を残したことと思われる。
ただし、ここで一つ注意してもらいたい点がある。それはつまり「一体飯田は何に
対して敗北したのか」ということである。安倍に対してだろうか?ある意味、それ
も真実である。ライバル関係を考慮すれば、確かに安倍こそが飯田を打ち負かした
張本人であったと言える。では視点を変えて、飯田はUFAやつんく♂の方針に対
して敗北したのだろうか?実は、これも真実である。彼らの安倍・福田推しがなけ
れば、もっとフェアにパート争いができたかもしれない。そういった意味では、本
来の敵はUFA・つんく♂であったとも言える。しかし、これらの解りやすい対象
とは別に、飯田が敗北を喫してしまった相手がもう一つ存在する。「モーニング娘。」
という組織そのものがそれである。
22 :名無し助教授。 :02/06/21 00:34
先に述べたように、オリメン達と娘。の関係は友好的なものではなかった。飯
田達にとって娘。は飽くまでも「仮の宿」に過ぎず、利用こそすれ、されるつ
もりは全く無かったのである。ところが、ユニット結成直後から連続する漫画
チックな企画の中で、彼女達はある種のピエロとして扱われることを余儀無く
されていた。これは、いくらメジャーデビューの為とはいえ、実に由々しき問
題であった。
このような状況から脱却する手段があるとすれば、それは娘。内において主役
の座を獲得すること以外になかった。いくら「努力」や「根性」をセールスポ
イントとする泥臭いユニットであるとはいえ、センターを務めるとあれば多少
は「箔」が付くというものである。だが、そのポジションは予め安倍の為に用
意されていたのである。飯田には既に「組織の歯車」という役割が与えられて
いたのである。パート争奪戦の顛末はそれを如実に証明するものであった。
1997年12月4日を境に飯田と娘。のパワーバランスは逆転する。本来離脱する
つもりであった、好きでもない組織に、彼女は取り込まれることになったので
ある。そういった意味でも「モーコー」のメインパートを獲得できなかったこ
とは、彼女にとって決定的な敗北であったと言える。
23 :名無し助教授。 :02/06/21 13:19
※訂正
第19レスにおいて「素人っぽさを前面に出すようにつんく♂等が指示した」と
ありますが、これは明らかな誤りで、正しくは「素人っぽさを前面に出した方
が客受けが良いと、UFA等が判断した」という表現になります。
失礼しました。
24 :名無し助教授。 :02/07/04 15:54
※訂正2
第17レスにおいてsingle「真夏の光線」と「ふるさと」の表記が洩れていました。
両者はそれぞれ第二期に含まれます。
失礼しました。
25 :名無し助教授。 :02/07/04 19:57
c.タンポポの望まざる変化
「モーニングコーヒー」で華やかなデビューを遂げた娘。は、その直後にメンバーを
三名増員し、8人体制となる。ここから娘。の歴史は第二期へと移行するのだが、そ
れは今日まで続く「質より量」という方針の起点でもあった。
安倍集権体制が本格化するのもこの頃からである。安倍を1トップに据え、福田とも
う一名(福田卒業後は無作為に二名)をその補佐に当てるというシステムは第二期娘。
の特徴であった。このシステムは、後に後藤の加入により「2トップとその他」へと
変更され、さらに現在では高橋を含めた世代別三頭体制へと移行しつつあるのだが、
それでも本体で活動する際に安倍がセンターに立つ点は今も変わりがない。これはつ
まりモーニング娘。の伝統と呼べるものであり、そういった意味では「おニャン子の
クローン」という立場から脱却し、娘。独自のスタイルを確立したのが第二期であっ
たと言える。
しかし、この「安倍≒娘。」という図式とそれに則った販売戦略は、当初から一つの
欠点を抱えていた。それは、中心となる安倍に娘。を支配するだけの力、及び他メン
に対する明確なアドバンテージが無かったことである。実際、当時の主な楽曲は福田
のイメージに合わせて作られていたし、歌唱力の面でも飯田・石黒・保田が安倍より
劣るということはなかった。安倍が1トップのセンターとなりえたのは、彼女自身の
アイドル性と「見栄えの良さ」故であり、決して歌の才能を評価されてのことではな
かったのである。このことはファンの目からも明らかであったし、何よりプロデュー
サーであるつんく♂がアーティストとして気にしていた点でもあった。
「サマーナイトタウン」で一般の人気を獲得し「抱いてHOLD ON ME!」で早くもオ
リコン1位を獲得したことは、この戦略の正当性を証明するものであった。しかし、
それは同時に「単なるアイドルユニット」というイメージを負うことにもつながった。
安倍をセンターに据えたことは確かに商業的成功の要因となったが、その代償として
アーティスト性が損なわれたこともまた事実なのである。このことは安倍・福田以外
のメンバーにとって、また当時若かったつんく♂にとっても看過しえない問題であっ
た。
彼らには自らのアーティスト精神を発揮する場が必要であったのである。タンポポは
は正にそうした要求の下に作られたユニットであった。
27 :名無し助教授。 :02/07/21 23:32
タンポポは1998年10月に結成された、娘。史上初の派生ユニットである。メン
バーは飯田・石黒・矢口の三名で、このうち矢口は2期メン同士による競争を
制した上での参加であった。
矢口が選出された主な理由は、その声質、及び彼女がファルセットを安定して
熟せることにあった。タンポポの編成に関しては、飯田が中~高音部を担当し、
石黒が低音部を担当するという前提条件があったのだが、矢口はその声質と歌
唱技術により、これらと重複することなく、逆にハーモニーの構成を補完する
役目を果たした。これはつんく♂にとって、曲を書く上でも、イメージを膨ら
ませていく上でも、魅力的な点であった。この矢口の参加によりタンポポは「透
明感のあるハーモニー」というセールスポイントを獲得することができた。本
体もハーモニーの美しさを特徴としていたが、こちらは多人数であるがゆえに
「透明感」よりも「重層感」が勝つ傾向にあった。それに対しタンポポは、必
要最小人数で機能主義的に編成されており、表現をシンプルかつ的確に行なえ
たのである。この点は現在に至るまであらゆる娘。系のユニットの中でも、当
時のタンポポだけが持つアドバンテージであった。
飯田も石黒も矢口も、本体では裏方を務めていた。しかし裏方といっても、石
黒と矢口はそれぞれ最低音部と最高音部を担当するという、言わば娘。の「骨
格」でもあった。その石黒と矢口が参加し、福田と共に安倍の影役を務める飯
田がセンターを張ったタンポポは、ある意味では娘。の真髄を体現するユニッ
トであったと言える。アイドル性などという理不尽な要素を極力排し、純粋に
実力で勝負しようとする方針は、原点回帰に等しい。それは飯田等オリメンと
そのファンが望んでいたことでもあった。派生ユニットの結成という企画自体
は確かに商業的側面が強いのだが、タンポポの存在意義にはそれと拮抗しうる
だけの正当性があった。後のプッチモニ。やミニモニ。、そして第二期タンポ
ポが、売ることや人気の獲得を第一義として結成されたことに比べれば、オリ
ジナルタンポポはただ必要に応じて作られただけとも言える。これもまた、こ
のユニット独自の特徴であった。
以上のようにタンポポは、娘。史上最もアーティスティックなユニットとして
結成された。そして、その実力は1stシングル「ラストキッス」(1998年11月
発売)で遺憾無く発揮され、結果、ファンだけでなく広く一般からの支持も得
ることとなった。その後、タンポポの活動は本体と並行して続けられ、1999年
3月には2ndシングル「Motto」が、同月末には1stアルバム「TANPO
PO1」がリリースされた。特に「TANPOPO1」は内容に隙が無く、娘。
系では唯一の名盤として現在も高く評価されている。
この時点までは、タンポポに限らず全てがうまくいっていたと言えるだろう。
娘達もつんく♂もファンも、それぞれがある程度の満足を得ていたはずである。
しかし、福田の脱退によりこのような状況は一変する。つんく♂が方針を見失
い、娘。は混乱状態に陥るのである。
それは同時にタンポポの凋落の始まりでもあった。
28 :名無し助教授。 :02/07/24 19:53
タンポポの凋落に関しては、三つの段階・要因が考えられる。
まず最初は、3rdシングル「たんぽぽ」で路線を変更したことである。それまでは切
なくもの悲しい雰囲気を全面に出していたのだが、この「たんぽぽ」以降はそれとは
正反対の清く明るい感じの曲ばかり歌うようになった。これは、表面的にみれば所謂
イメージチェンジの一環あり、アーティストが活動していく上ではある意味必要なこ
とだとも言える。しかし、タンポポの場合には逆にネガティブな要素が多く含まれて
いた。何故なら、そもそもこの路線変更は本体のそれと連動して行われただけの、無
目的なものだったからである。
娘
29 :名無し助教授。 :02/07/25 04:36
娘。の内的イメージ(世界観)を構築・表現することに関して福田に依存して
いたつんく♂は、彼女の脱退によりプロデュース上の指標を見失ってしまった。
そして、本来ならこのような時にこそメンバーを追加すべきなのだが、彼はそ
うせず、「真夏の光線」で180度のイメージチェンジを行なうことによって
この危機的状況を乗り切ろうとした。この件については、当時の娘達の心理状
態を考慮すれば、ある程度納得もできよう。しかし、本体の方針をそのままタ
ンポポにも採用したことは、いささか問題であった。
元来タンポポの存在意義は、本体では不可能な表現をすることにあった。本体
と路線が違っていても何ら問題無いどころか、むしろその方が当然とさえ言え
るのである。ところが、つんく♂はタンポポを本体の付属物として扱い、その
アイデンティティを半ば失わせてしまった。この行為に関して、正当性を見い
出すのは不可能かと思われる。
つんく♂がタンポポに対しこのような態度を示した背景について敢えて推察す
るなら、次の二点が考えられる。一つ目は「TANPOPO1」のリリースに
よりユニットの役目が終ったと認識したこと。もう一つは「TANPOPO1」
の売上が思った程ではなかったために路線変更もやむなしと判断したこと、で
ある。もし前者が真実なら、これ以上は何も述べる必要が無いだろう。しかし、
後者がその理由であるなら、非常に残念であると言わざるをえない。何故なら
それは、やっと日の目を見たオリメン達の初期衝動が再び否定されたことに等
しいからである。
いずれにしろ、「たんぽぽ」におけるイメージチェンジは中身の無いものであ
り、間違い無くユニットを衰退させる方向に作用したと言える。これが凋落の
第一段階であった。
30 :名無し助教授。 :02/08/01 16:48
凋落の第二段階とその要因は実に明確である。つまり、石黒の脱退(2000年1月)で
ある。機能的に編成されていたタンポポにとって、メンバーの脱退は致命的な問題で
あった。実際、この後も飯田と矢口だけでユニットの活動は継続されるのだが、以前
と同等のパフォーマンスが不可能であることは誰の目にも明らかであった(ライブビ
デオ「ダンシングラブサイト2000春」参照)。各メンバーが競合し、その相乗効果に
よって楽曲・ユニットがよりハイレベルな領域へシフトすることを音楽上の「マジッ
ク」と言うのであれば、タンポポは石黒の脱退によりマジックから醒めた、というこ
とになる。オリジナルタンポポは正しくこの時、終焉を迎えたのであった。
31 :名無し助教授。 :02/08/03 17:40
最後に第三段階についてだが、これは「ユニットの空洞化」がその要因であった。
2000年6月に石川・加護を加え新たに生まれ変わったタンポポは、ポップでキュート
なダンスユニットとしてそれなりに人気を獲得していった。オリジナルと比較
した場合、アーティスト性は大幅に失われていたが、そもそも4期メンの採用
目的が娘。の純アイドル化・ブランド化であったことを考えれば、第二期タン
ポポはその為に充分機能したと言えるだろう。「乙女パスタに感動」(2000年7月)
や「恋をしちゃいました」(2001年2月)でモーコー的な王道を復活させ、一つ
の売り方として定着させた点はむしろ評価すべきかと思われる。しかしそれに
も関わらず、これ以降ユニットは徐々に勢いを失っていくことになる。その原
因となったのが空洞化という問題であった。
空洞化の具体的な内容は以下の通りである。
・ミニモニ。のメジャーデビュー(2001年1月)
…加護にエネルギー発散の場が与えられた
…矢口がセミプロデューサーとしてミニモニ。の方に注力するようになった
・カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)の結成(2001年4月)
…石川に主役として活躍できる場が与えられた
↓
ユニットとしての統一性が稀薄となり、存在意義も次第に失われていった
この結果、第二期タンポポは徐々に、飯田の体裁を取り繕う為だけの(しかし
飯田はセンターに立てないという)中途半端な組織となっていったのである。
これが凋落の第三段階であった。
娘。系CDの売上に関しては、ファンの金払いが良い為にユニット数が増加し
てもシェアは分割されない、という特性があった。従って後に「王子様と雪の夜」
(2001年11月)がオリコン1位を獲得できたことも、特に不思議な現象ではな
かった。しかしこの1位は、各メンバーの個別的人気によって達成されたもの
であって、ユニット自体の魅力によって勝ち得たものではなかった。ファンは
金を払いつつも、ユニットの価値については相当に懐疑的だったのである。そう
いった意味では、第二期タンポポの後半は悲惨であった言える。
32 :名無し助教授。 :02/08/05 15:57
先に述べたようにオリジナルタンポポの長所は、アンチ娘。的な概念の下に設立され
た、という点にあった。本体がパロディー的な要素を含んでいたため周囲から非難さ
れるのも仕方なかったのに対し、オリジナルはメンバーの能力を最大限に引き出した
上で成立していたことから何の引け目もなく他のアーティストと戦えたのである。も
ちろん、実力的には宇多田ヒカルやSPEEDにかなうものではなかった。しかし、
娘。以降のアイドルブームの中にあって「歌を大事にする」というスタンスを明確に
示し実践した点は充分評価に値すると言えよう(本体の場合「歌を大事にする」とは
半分建前にすぎなかった)。
また、オリジナルにはもう一つの重要な側面があった。それは、プロデューサーであ
るつんく♂の趣味・嗜好をストレートに表現できる場であった、ということである。
つんく♂はローティーンの女の子の心理を表現することにも長けているが、好みとし
ては大人の女性、あるいは「女性らしさ」というものを描きたがる傾向にあった。こ
のことは、シャ乱Q時代もそうだが、「サマナイ」「抱いてHOM!」「メモ青」と
いう一連の流れを見ても理解できよう。イメージに合う素材があれば、それがたとえ
13歳の少女であっても「抱いて」などと唄わせるのである。つんく♂のそうした傾
向はかなり強いものであったと言える。ただし、大人っぽさを表現できたのは福田だ
けではなかった。「ラストキッス」で証明したようにオリジナルタンポポでもそれは
可能だったのである。福田と比較した場合、つんく♂としては飯田達のレベルには満
足できなかったかもしれないが、少なくとも一つの手段としての有用性がオリジナル
にはあったはずである。
ところが、つんく♂は福田の脱退以後娘。に対して自分の嗜好を封じるようになり、
オリジナルにも同様の方針を採用した。それは一人のクリエイターとしての判断だっ
たのであろう。しかし、「LOVEマシーン」での一大構造改革(ラブマ革命)以降
お祭りソングが量産されるようになると、逆に「ラストキッス」のような曲を望む声
が強くなっていくのだが、オリジナルを復興させなかった(石川・加護を加入させて
タンポポを第二期に移行させた)後ではもはや対応しようがなかった。つまり、個人
的な趣味性を捨てるというつんく♂の行為は、ある意味では潔いものであったが、一
方では娘。の表現の幅・世界観を狭めることにもつながり、ひいてはファンから飽き
られる要因ともなったのである。それは明らかなデメリットであった。
あまり売れなくても、人気が無くても、あるいは飯田達に福田ほどの才能が無かった
としても、「TANPOPO1」で示されたようなオリジナルタンポポの精神・性質
は尊重すべきだったのである。結局はそれが、飯田、ファン、つんく♂、皆のためで
もあったのだから。
ソロの夢が潰え、本体でのセンター獲得もままならなかった飯田にとって、派生ユニ
ットであるタンポポは最後の砦であった。しかし、そのユニットも当初はアーティス
トとしてのアイデンティティと正当性を具えていながら、やがてはファンとの依存関
係だけで成り立つような打算的な組織へと変わっていったのである。
それは飯田にとって三番目の決定的な敗北であった。
33 :名無し助教授。 :02/08/05 16:38
※お詫び
第25~第32レスにかけて、飯田の三番目の敗北としてタンポポの凋落について述
べてきましたが、先日飯田のタンポポ脱退が決定したことにより、これらの意味が失
われることとなりました。
本来ならば「タンポポでの栄光と挫折」と主題を設定し直して、改めて書き直すべき
なのでしょうが、当方にはそのための時間的余裕がありません。
従って、身勝手ながら本稿はこのままにしておきたいと思います。
どうもすみませんでした。
35 :名無し助教授。 :2002/08/19 19:03:46
(2)現状と今後について
2002年8月1日に、ユニットの再編成、及び保田・後藤の脱退が正式に発表された
ことにより、近い将来において娘。が再び変化することは確定的となった。今回
の改革は内部調整的な傾向が強く、世間からは地味に見えるかもしれないが、実
質的にはラブマ革命に匹敵するほど過激なものであると言えるだろう。なにしろ、
タンポポ・プッチモニ。共にオリジナルメンバーが一人もいなくなるのである。
恐らくこの改革はファンの刷新、あるいは世代交替の促進を目的としており、娘。
史上の一つのターニングポイントになるかと思われる。
飯田もこの改革によって異動を経験することとなった。それは、つまりタンポポ
からの脱退である。ファンの間では今回の人事について否定的な見解が強く、飯
田にも同情の声が多く寄せられている。しかし、前項で述べたようにタンポポに
はもはや既得権益の維持という役割しか与えられておらず、世間一般(ファン以
外の人々)に対してアピールする姿勢は無いに等しい。確かに古巣を離れること
はファンにとっても飯田にとっても寂しいことかもしれないが、飯田のキャリア
を考慮すれば、むしろ閉鎖的な組織から解放された分だけ可能性が広がったと言
えるだろう。
次の脱退者が飯田である確率は極めて高い。本節ではその点に留意しつつ、飯田
を取り巻く現状と、彼女が取るべき今後の対応について述べたいと思う。
36 :名無し助教授。 :2002/08/21 12:46:25
a.意義ある孤立
タンポポから脱退したことによって、飯田は娘。外における活動拠点を失ってしまった。
この先飯田は、安倍と同様、個人の能力のみで自分のポジションを確保・維持し続けなけ
ればならないのである。しかも飯田の場合は、これまでの経緯から考えても、UFAやつ
んく♂からのバックアップが期待できない。そういった意味では、今後彼女が置かれる環
境はとても厳しいものであると言えよう。
また、タンポポという中和剤が無くなったことにより、飯田と娘。の間にある問題が再び
顕在化することとなった。それは「組織に従属するか否か」ということである。飯田自身
は今やモーニング娘。という組織に愛着を抱いているようだが、それは実のところ「オリ
ジナルメンバーである」という意地から生まれる感情であり、肩書以外ではもはやこの組
織が自分に何の利益ももたらさないことは彼女も充分理解しているだろう。例えるなら、
裏切られることがわかっていながらも自らのプライドゆえ相手に尽くし続ける女性の心理
とでも言おうか。その根性は素晴らしいが、しかしそれでは今までと同じように事務所の
方針に対して後手を踏むことになり、やがては退引ならない状況に追い込まれることにな
る。この先も芸能活動を続けていく気があるなら、飯田は娘。と自分の関係を今一度冷静
に見つめ直し、よりシビアな態度でこれに対応する必要があるかと思われる。
その際に参考となるのが、かつての中澤である。中澤はアイドルとしては異例の24歳と
いう高齢でメジャーデビューしたわけだが、彼女はその点に関するメリット・デメリット
を当初から充分に理解しており、逆に高齢であることを利用して自らのポジションを確立
していった。そして、その時々の娘。本体の状況と照らし合わせながら、常に自分の進退
について考えを巡らせていた。中澤は、日和見とか保身とかいう以前に、一人の社会人と
して自分の立場を客観的に見る目を大切にしていたのである。だからこそ、メンバーの加
入・脱退、人気の下落・急上昇、自身の体力の低下、組織の低年齢化という事態の中でも
自分の居場所を確保できたわけだし、それが娘。脱退後の活動の順調さにも繋がっている
と言えるだろう。
オリメンで最年長でリーダー、さらにどのユニットにも属していないという点で、かつて
の中澤と現在の飯田はシンクロしている。また、中澤が「可愛いおばちゃん」、飯田が
「綺麗なお姉さん」という風に、娘。内の異分子として世間から認知されている点も両者
は共通している。今まではその異質さ故に迫害され、忍耐を強いられてきた飯田であるが、
これからは逆に自分の立場の特殊性を活かして行動すべきだろう。それはつまり、娘。と
いう組織から、あるいはアイドルという身分から精神的に脱却するということでもある。
もちろん、そんな態度を示せば組織の中で孤立することになるだろうし、なにより娘。に
所属している限りはその方針に従わなければならないのだから、ストレスは今と同じかそ
れ以上に感じることとなるだろう。しかし、受身のままではまた悲惨な敗北を喫するだけ
だろうし、たとえ組織内で孤立しても、その状況を逆手に取って自分をアピールすること
ができれば脱退後の活動が楽になることは中澤が証明した通りである。
娘。の存続如何に関わらず、いずれは誰もが独りでの活動を余儀無くされるのである。た
だ、幸いなことに飯田にはまだ時間がある。今のうちからセルフプロデュースの能力を磨
いておくことは彼女にとって決して損なことではないだろう。
37 :名無し助教授。 :2002/08/25 01:33:22
b.終幕を控えて
本来なら第二節では、現在の娘。が陥ってしまった全体主義と、その中での飯
田の立場について説明するつもりであったが、先の改革により事情が一変して
しまった。よって、前項では改革後の飯田の状況について述べたのだが、それ
に関連して娘。の物語・文化についても触れておく必要があるだろう。メンバー
の脱退は、組織に実質的な変化をもたらすだけでなく、ファンの心理にも多大
な影響を与える。飯田がオリメンであるからこそ、この辺の状況についても確
認しておきたいと思う。
モーニング娘。に関する物語は主に以下の三種に分類できる。
・芸能史上における娘。の物語
・娘。史上の物語
・各メンバーの物語
このうち注目したいのは二番目の「娘。史上の物語」で、メンバーの脱退・追
加という娘。独自のシステムが、この物語に深みを与えていると言えよう。メ
ンバーの脱退は一つの章の終りを意味し、追加は新章の始まりを意味するので
ある。では、各期メンバーが担当する物語のパートとはどのようなものなのか。
それは以下の通りである。
・オリメン…立志篇。メジャーデビューまでの苦難の道のりとその達成。
・2期メン…野望篇。初のオリコン1位獲得とその後の没落。
・後藤 …回天篇。ラブマ革命による栄光。
・4期メン…円熟篇。娘。ブランドの確立と他分野への進出。
・5期メン…現時点では不明。おそらく「苦闘篇」になるかと思われる。
これらのパートは各期メンバーが一人でも残っている限り完結したことにはな
らない。従って、娘。史上の物語とは、時間的には連続しているものの、それ
ぞれのパートは並列間系にあるとも言える。しかし、今回後藤が脱退すること
により、この構造に異変が起きることとなった。それは「断絶」である。
オリメン・2期メンを旧娘。とし、4期・5期を新娘。とするなら、後藤は唯
一両者の架け橋となりうる存在であった。一般には革命の中心的人物として新
娘。側に属する見られている後藤だが、実際には革命後の新体制にも馴染んで
いたとは言いがたい難い。娘。内での後藤の立場は4期メンが加入した頃から
既に浮いたものになりつつあり、加護の台頭以降、お子様路線が本格化してか
らは、むしろ異端者としてのイメージ(世間的には「エース」という言葉で表
現される)が定着していた。つまり、後藤は飽くまでも中立的なポジションに
いたのであり、ゆえに旧娘。と新娘。の連結機として機能したのである。しか
し、9月23日をもって後藤は娘。を脱退する。その結果、旧娘。と新娘。は
物語的にも文化的にも断絶することになるである。
38 :名無し助教授。 :2002/08/26 15:44:20
問題はこの断絶がどのような事態を惹起するかということである。来春に保田が脱退
すれば、旧娘。勢力はパワーダウンを余儀なくされる。しかも、矢口がキッズの指導
員として駆り出されれば(新娘。側に取り込まれるということ)、旧娘。の残りはオ
リメンだけになる。つまり、現在でもマイノリティーであるオリメンとそのファンは
近い将来において確実に孤立することになるのである。また、保田の脱退によって娘。
の進化が完了するわけではなく、当然ながらその後も発展の為に改革は続くだろう。
その際に焦点となるのはオリメンの待遇である。果たしてモーニング娘。を存続させ
る上でオリメンとそのファンは必要なのか否か。今まで先送りにされてきたこの問題
について、UFAやつんく♂は、後藤脱退から保田脱退までの期間中に本体や各ユニ
ットの活動状況を見て、判断を下すものと思われる。
敢えて先を続けるなら、来春以降の改革案としては以下のものが考えられる。
まず、UFAがオリメンを保護する場合には、
・高橋を鍛えてエースにする
・後藤、福田並の即戦力を登用して組織のカラーを変える
・「ラブマ」並の曲を用意して再び革命を起こす
・6期メンを採用する
逆に、オリメンを排除する場合には、
・安倍、飯田ともに脱退(完全な次世代型娘。の誕生)
・安倍のみ脱退(上とほぼ同義)
・飯田のみ脱退(低年齢化の促進)
ここまでくればもはや単なる推測にすぎないので、とやかく論じても意味が無いだろ
う。ただ一つ言えるのは、来年の春か夏に娘。が重大な岐路に立つ可能性は極めて高
いということである。メンバー個人ではなく旧娘。が好きで応援し続けてきた人達は
ある程度心構えをしておくべきなのかもしれない。
40 :名無し助教授。 :2002/08/27 17:02:38
c.最後に
モーニング娘。はその当初からメンバーが勝ち組と負け組に分かれる傾向があった。
このような性質はASAYAN時代に植え付けられたのだが、後にUFAが同じ手法
を踏襲したことにより、内部の二重構造は娘。の一つの文化となってしまった。
何故、内部に負け組が必要なのか。それは、オーディション落選から手売りによる復
活という流れでもわかるように、元来娘。は「敗者の成り上がり」をテーマとしており、
各メンバーが悪戦苦闘する姿を見せることで人気を獲得してきたユニットだからである。
メジャーデビューまでは娘。そのものが敗者であったため、特に問題はなかった。し
かし、一旦メジャーデビューしてしまえば、後はアイドル(勝者)として活動しなけ
ればならず、従って、放っておけば娘。が他の凡百のアイドルユニットと同質化する
可能性は充分にあった。また、アイドルという肩書きや地位・イメージは、素人であ
ることを最大のセールスポイントとしてきた娘。にとっては、プラスの材料となりえ
なかった。そこでASAYAN側は娘。内部に負け組を設け「敗北→逆襲」というパ
ターンを継続させることで、娘。独自のカラーを維持しようとしたのである。「モー
コー」でのパート争奪戦はその方針の下で行われた最初の企画であったし、後のタン
ポポ結成などはまさに組織内の敗者(飯田や石黒)に与えられた逆襲のチャンスだっ
たわけである。下克上の快感やメンバー間の確執を楽しむこと。それが内部に負け組
を設けたことの本当の狙いであった。
ただし、ここで注意しておきたいのは、ASAYAN側にはメンバー全員にスポット
ライトを当てる意図があった、ということである。彼らには番組制作という仕事の関
係上、人物を魅力的に見せることに関しては一日の長があったし、メンバー全員をフュー
チャーできるだけのスキル・能力があった。また、彼らの目的が利潤の追求ではなく
「娘。物語」の創作にあった、という点も重要である。UFAやその他の関連各社が
CDやグッズの売り上げを第一に考えていたのと比べれば、ASAYAN側は娘。に
対して親のような愛情を抱いていたと言えよう。だからこそ、番組内で展開される娘。
の活動はスリリングであり、感動的でもあったのである。
42 :名無し助教授。 :2002/08/28 16:57:45
ところが、「ラブマ」以降、娘。の監督・運営権が完全にUFA側に移ると、この
「敗北→逆襲」というパターンに変化が生じることとなった。UFAも娘。内に勝ち
組・負け組を設定したが、それは人気がある者(利益を上げる者)には活躍の場を多
く与え、そうでない者は隅に追いやるという、単なるビジネス上の措置にすぎなかっ
た。彼らにはメンバー全員にライトを当てる意図がなかったし、逆襲劇を企画・実行
するだけの能力も無かったのである。その結果、娘。からはスリルや意外性が失われ、
逆にファンや子供だけが喜ぶようながマニアックさが目立つようにようになった。ま
た、逆襲という企画には救済措置としての側面があったのだが、これが棄却されたこ
とにより、負け組のメンバーはその枠内に囚われることとなった。飯田や保田の悲劇
は主にこの点に起因していると言える(私見だが、現時点での勝ち組は安倍・後藤・
石川・加護・高橋の五名、負け組は飯田・保田・小川・新垣の四名であるかと思われ
る。なお、矢口・吉澤・辻・紺野は特殊なポジションにいると考えられるのでどちら
からも除外しておく)。
娘。の構造やシステムはよく学校の部活やキャバクラ等に喩えられるが、それはアイ
ドル業界におけるビジネスモデルとしては確かに斬新なものであった。そして、この
ようなシステムを築き、娘。を今日のような規模にまで発展させた功績はUFAにあ
り、その点については彼らも充分に評価されるべきだろう。しかし、事業面での成功
の一方で、彼らが「新しい娘。像」を構築できたかは疑問である。努力・気合い・根
性をスローガンとし、およそアイドルには似つかわしくない泥臭さ・殺伐さ・品の無
さを具えていたという点で、「ラブマ」以前のモーニング娘。は画期的であった。し
かし、そのような独特な組織を誕生させた功績は主にASAYANにあり、UFAに
はない。むしろ、世間一般の人が抱いている娘。像が相変わらず「ラブマ」当時のま
まで止まっていることを考えれば、UFAには問題があるとさえ言える。「国民的ア
イドルグル-プ」という看板・勲章を得る過程で、何を犠牲にし、何を失ったのか。
UFAは一度自ら検証してみるべきだろう。
43 :名無し助教授。 :2002/08/29 23:20:48
モーニング娘。の栄光の象徴が安倍や後藤であるなら、その暗黒面の象徴は間
違い無く飯田である。何故なら、彼女ほどUFAやつんく♂の方針に翻弄され
た娘は他にいないからである。飯田は単に冷遇されてきただけでなく、娘。が
企画物の宿命として本質的に具えている軽薄さ・不実さによって度々その名誉
を傷付けられてきた。このような経歴を持つ者は全17人のメンバーの中でも
彼女だけであり、それはまさに悲劇であったと言える。
ただ、当の本人は相変わらずステージの上で、スタジオの中で、笑顔を絶やす
ことなく屹立とている。恐らく彼女はこの先どんな扱いを受けようとも、その
強固な意地とプライド故に決して屈伏することは無いだろう。なにしろ、あの
おどる11がCDの売上で他の二つのシャッフルユニットに負けた時ですら、
露骨に悔しがったほどである(ラジオ番組「今夜も交信中」において)。飯田
はまだ、全然、諦めていないのである。後輩達もトークの技術やキャラの立て
方云々以前に飯田のこのような姿勢を見習うべきだろう。
負け続けてもなお、胸を張ろうとする人がいる。
「麗しい」という言葉は、むしろそういう人にこそ相応しいのではないだろうか。
第1章 終
46 :名無し助教授。 :2002/08/30 23:53:36
※訂正3
・第40レス、17行目
「下克上の快感とメンバー間の確執を楽しむこと。」
↓
「メンバー間の確執を露にし、下克上の快感を視聴者にも玩味させること。」
上記の箇所と、あと第42レス全文を訂正させていただきたいと思います。
見苦しいことこの上なく、申し訳ございません。
47 :名無し助教授。 :2002/09/01 01:10:37
(第42レス修正版)
ところが、2000年の半ば頃から娘。の監督・運営権が完全にUFAのものになると、
内部の二重構造はそのままに、ただ敗者復活というイベントだけが消滅することと
なった。そして、その結果として飯田達は負け組という枠内に囚われてしまい、活躍
の場を与えられないまま我慢を強いられることとなったのである。
何故、敗者復活という企画・イベントは消滅したのか。その理由としては次の二点が
考えられる。
まず第一に、ラブマ革命によって娘。全体の売り方が変わったということである。
UFAは、以前はユニットの方針を決定した上で各メンバーにそれぞれの役割を振り
分けていたのだが、革命以後は各メンバーの人気・利用価値を基にしてユニットの方針
を決めるようになった。いわゆるキャバクラ的システムの導入である。その構造は単純で
人気がある者(利益を上げる者)には出番を多く与え、そうでない者は隅に追いやる
というだけのことである。このシステムの導入により、各メンバーの間にはビジネス上
の序列・対立関係が発生するようになり、勝ち組と負け組の差もはっきりと目立つよう
になったのだが、UFAとしては、その秩序維持のためにも、余程のことがない限り
負け組に対して救済措置を取ることができない(というか、この疑似キャバクラ制
を導入した時点で、最初からそのつもりがないとも言える)。つまり、革命後の娘。
においては、敗者復活は禁止事項にも等しいことなのである。よって、この手の企画・
イベントは消滅した言える。
また、もう一つのポイントとしては、UFAが娘。の純アイドル化を目指していた
ことが挙げられる。確かに革命以前の娘。もアイドルであったには違いないが、スポコン
チックな泥臭さを纏い、それをセールスポイントにしていたという点では明らかに
異質な存在であった。純アイドル化とはすなわち、このような異質性を排除し、純粋に
可愛さ・格好良さ・愛敬の良さで勝負するためにこれらの要素をユニットや各メンバー
に要求し、付与し、強化すること指している(それは、歌唱力よりもビジュアルやキャラ
クター性を重視する、という意味でもある)。この方向性は4期メンの採用によって
決定的となったのだが、それ以来、泥臭さや殺伐さは駆逐される一方となった。恐らく
敗者復活というイベントも、その過程で棄却されてしまったと思われる。
娘。内に負け組を設けたことはASAYANもUFAも同じであるが、その意味合い
はそれぞれ全く異なるものであった。前者が娘。人気の底上げを目的としていたのに
対し、後者は単にビジネス上の措置でしかなかったのである。しかも、後者の場合は
負け組に反撃するチャンスさえ与えられていないのである。「ラブマ」以降の飯田や
保田の悲劇は主にこの点に起因していると言える。
52 :名無し助教授。 :2002/09/21 23:48:43
第2章 安倍なつみ~復讐の笑顔~
2002年現在の日本の芸能界において、モーニング娘。が国民的アイドル
グループとして君臨していることは紛れもない事実である。そして、娘。の
主役を務める人物が安倍なつみであることも、また疑いようのない事実であ
る。では、トップ中のトップである安倍なつみ個人は「国民的アイドル」な
のだろうか?
答えは否である。世間の関心は飽くまでも娘。というグループに向けられて
おり、メンバー個人の認知度はそれほど高くないのが実情である。むしろ典
型的なアイドルとしては、同じハロープロジェクトの一員である松浦亜弥の
方が通りが良いだろう。また、アイドルはヴィジュアルが一番重要なのだが、
写真集の売上などを見てもわかるように、安倍はこの方面に関して特に優位
性を具えているわけではない。つまり、安倍なつみは現在確かに業界の頂点
にいるが、その地位は娘。という組織を媒介した上での形骸的なものであり、
彼女個人が直接支持を得て獲得したものではないのである。
そもそも、娘。内部においても、安倍が明確なアドバンテージを持っている
かどうかは微妙である。歌唱力では福田に及ばず、プロポーションでは飯田
に及ばず、タレントとしてのトーク技術では矢口に及ばず、単純な人気では
今や石川・加護に追い抜かれ、そして何よりソロシンガーとしての商品価値
は後藤ほど認められていない。安倍が娘。創設時から現在に至るまで「娘。
の顔」であり続けるのは、総合的な能力と安定度の高さゆえであり、決して
人より抜きん出た長所を具えているからではないのである。逆に、個性豊か
なメンバー達によって周囲を固めてもらわなければ、あるいはつんく♂やU
FAのサポートがなければ、安倍の立場やイメージは極めて曖昧なものにな
るだろう。
よく「娘。は安倍のためのユニット」と言われるが、実際両者の関係は密接
かつ複雑であり、良くも悪くもその影響力は大きい。極論すれば、娘。発展
の要因と数々の問題の原因はここに集約されているとも言える。
では、安倍をセンターに奉り上げるシステムとは一体どのようなものなのか。
また、そのシステムが存在する理由は何なのか。そして、安倍なつみとは如
何なる人物なのか。
今回はユニットの核心とも言うべき「安倍中心体制」について考察してみた
いと思う。
53 :名無し娘。 :2002/09/22 02:56:05
あいかわらずいいなあ
この講義大好きだわ
54 :名無し娘。 :2002/09/22 10:08:02
おっ、講議が始まるのか。ノートはどこにやったかな、え~と……
55 :名無し助教授。 :2002/09/27 02:27:06
[1]安倍中心体制の歴史
一口に安倍中心体制といっても、その内実は時期によってかなり異なってい
る。大きく分けると、ラブマ以前(集権制)、以後(象徴制)となるのだが、
厳密に言えば、事務所の方針転換やメンバーが増員・脱退するたびにシステ
ムの構造は微妙に変化しており、長いスパンで纒めるのは特策ではない。
よって、ここでは各時代毎に分けてその特徴を分析してみることにする。
●集権制
a)黎明期(「愛の種」「モーコー」)
娘。結成の経緯については諸説あるが、安倍がその主役の座に就くことはご
く早い段階で確定していたものと思われる。ゆえに、安倍中心体制なるもの
は最初から存在していたとも言えよう。ただ、手売りからメジャーデビュー
までの期間は、まだ組織内にシステムが確立されておらず、センターという
ポジションにも後世ほどの価値が付与されていなかった。この時期は、モー
コーのメインパートが安倍に与えられたという事件に、集権制の萌芽が垣間
見れるだけとなっている。
b)完成期(「サマナイ」「抱いてHOM」「メモ青」)
集権制が本格的に機能し始めるのは、2期メンが加入した後のサマナイから
である。その内容を一言で表すと「組織全体で安倍一人をバックアップする」
ということになる。単にパート割や立ち位置で安倍が目立つよう仕組まれて
いただけでなく、各メンバーそれぞれに安倍の欠点を補う役目が与えられて
いたのである。それはあまりにも歪な、しかし当時としては最も効果的なユ
ニットの在り方であった。
このシステムの要は福田であった。何故なら彼女は、娘。の歌唱力を支える
という実務面での役目も果たしていた一方で、楽曲に、あるいはユニット全
体にある種の重味を与えるというイメージ上の仕事も熟していたからである。
安倍を前面に立てた際の最大の難点は雰囲気が軽薄になることであったが、
福田はその中にあってまさにアンカーの役目を果たした。このように、安倍
と福田が陰陽一対の核としてバランス良く共存し、そして福田がその点を充
分理解した上で的確に対応していたことが、集権制をスムーズに機能させた
と言える。ゆえに、福田が自分の役目を放棄した後、このシステムが崩壊し
ていくのは当然の帰結であった。
56 :名無し助教授。 :2002/09/29 22:55:54
c)崩壊期(「真夏」「ふるさと」)
福田の脱退により改革を迫られたつんく♂は、極端なイメージチェンジとパー
ト割の均等化を図った。後のラブマ革命においてはメンバー全員を目立たせ
ることが最大の要点となるわけだが、真夏での方針転換はある意味ではこれ
に通じるものであったと言える。しかし、見かけの解放感が増した一方で、
組織自体は閉塞的な状態に陥りつつあった。何故なら、ユニットが安倍一人
のために有機的に機能することはもはや不可能であったにも関わらず、1ト
ップセンター・メインパート担当という彼女の特殊なポジションはそのまま
堅持されたからである。このような理不尽な方策は、当然ながら周囲の共感
を得られるものではなく、人気凋落の呼び水となった。
そして、娘。の危機を決定付けたのが、ふるさとでの無謀な挑戦であった。
そもそも「主役の力不足」「組織としての纒りの無さ」といった娘。の本質的
な弱点を解消するために集権制というシステムが設けられたのだが、それは
安倍の人気や実力を実際以上に見せるようにも作用した。つんく♂やUFA
は恐らく、このギミックに幻惑された人々をターゲットとして、彼女の半ソ
ロ化を試みたのだろう。しかし、安倍個人に魅力を感じる人は存外少なく、
逆に一体感を失ったユニットに落胆する人は多く、挑戦は惨憺たる結果に終
った。安倍は娘。という城に守られてこそお姫様でいられるのである。その
意味の重大さを計り間違えたことが、ふるさとの敗因であったと言える。
福田の脱退によって機能不全に陥ったシステムは、安倍をバックアップする
という本来の目的を果たすことなく、むしろ彼女とユニットを分離させる方
向に働いた。そして、最終的には安倍の半ソロ化という内部崩壊にも等しい
事態まで惹き起こした。メジャーデビュー以来続いた集権制時代は、これ以
降混乱期に入り、やがて革命によって終焉を迎えるのである。
57 :名無し助教授。 :2002/10/06 16:50:14
●雌伏の季節
a)絶頂と不安(「ラブマ」)
娘。史上最大の出来事といえば、「LOVEマシーン」のリリース(1999年9月)
に伴う一大構造改革=ラブマ革命が想起されるだろう。この改革は、娘。を
完全リニューアルさせただけでなく、芸能界の情勢にも劇的な変化をもたらし、
社会現象まで惹き起こした。恐らくは、20世紀末の日本を彩った祭の一つ
として、今後も永く語り継がれることかと思われる(革命の詳細については
後藤の章で触れることにする)。
しかし、安倍にとってこの改革は悪い意味での転機となった。何故なら、集
権制が撤廃されたにも関わらず、それに代わる新たな制度(彼女の立場を保
証するシステム)は構築されなかったからである。本来この改革は、ユニット
のイメージと内部構造の両面において、一種のアノミー状態を作り出すこと
を最大の目標としていた。そのため、統一的なシステム